Legend Story -the heir of the world-
第壱章 平和な世界イクセリオン -Peace is not happiness-
Section1 アレクサンドリア王国立召喚術師学校卒業試験
ひどい嵐の日だった。長く降り続いた雨をどっぷりと吸った地面の泥が足を滑らせる。空は夜のように暗く、雲は灰色というよりも黒色が正しい。 度々周囲を照らす雷は耳を割るほどに五月蠅く轟き、まさしくそれは神の怒りとも受け取れる。風は荒れに荒れ、雨もまた衰える気配はない。
そんな天候とはお構いなしに、深い森の中を駆ける人影が無数にあった。
その内の一つである少女は木の枝から枝へと飛び移る。彼女は一度だけ立ち止まり、溜息のように大きく息を吐き出して息を整えると、再び風のように駆けた。
「・・・・・・逃がすな、追え! 追え!」
彼女を追いかけている人間は何十、何百という程の数の兵士だ。一様に、兵士という割には軽装で、胸にはアレクサンドリア王国軍の紋章が鈍く光っている。
「そっちに逃げたぞ、絶対に逃がすな!」
舌打ちをしながらも、彼女の顔色に焦りはない。ただ、疲労の色だけは隠しきれなかった。 分厚い雲を取り払えば、恐らく空は茜色に染まる頃のはずで、彼女が休みなく逃亡を始めて数時間以上経過している。疲れが出るのは当然のことだ。
しつこいな、と彼女は次の木へと飛び移りながら、心の中で悪態をつく。苦労してやっている割に、撹乱の効果は相手の人数を考えれば皆無と言っても良いだろう。 相手は軍隊だけあって統率もとれている上、徐々に逃走経路が誘導されているのも分かっていた。分かっていても、突破口はそう簡単には見つからない。
状況を分析すればするほど、絶望的だということが明らかになるばかりだった。
「仕方がない・・・・・・か」
彼女は諦めたように呟きながら目を伏せる。視線を下へと降ろしてみると、足を取られながらも必死に追いかけている者達と前方で待ち伏せをする者達の姿がある。
一対多数では一対少数の状況を出来るだけ作り、少しずつ減らしていくのが基本だ。
彼女は急に地面へと飛び降り、前方の兵士に向かって一息に距離を詰めた。少女は手に持った一本の剣を構えると、足の速度を緩めずに兵士の間を駆け抜ける。
「くっ、ぐあぁぁぁ!!」
通り過ぎる瞬間、兵士達から突如血が噴き出し、力なく倒れた。無論、全員死んでいた。鮮やかすぎる一閃は、知覚することすら許さない。 少女の腕が遙かに兵士達を凌駕しているのは明白である。
当の少女は兵士の存在などなかったかのように逃走を続けた。彼女を追う兵士達もその惨状を一瞥すると、仲間の死を悼むよりも少女の追跡の方を優先したらしい。 ただ、より一層の憎悪が彼らの瞳の中に燃えていた。それはどんどん濃くなり、荒々しい様子はまるで嵐と同調するかのようだった。
「くそっ! 奴は橋に向かっているはずだっ! 絶対に逃がすなよ!!」
やはりと思った。当初の予測通り、彼らは自分を橋へと追い込もうとしているらしい。元より目的地は橋の向こう側だった。最初から向かっている場所が一致しているのだ、橋へ向かう道に待ちかまえている兵の数が少ないのも道理である。
上等だ、受けて立ってやる。とでも言いたいところだったが、時間をかければかけるほど、敵数も疲労も増すばかりだろう。 これ以上厄介なことになるのは、いささか面倒だった。できることなら、少しでも良いからどこかで身体を休めたい。
早く、終わらせてしまいたい。
「だったら」
彼女は待ちかまえる兵士達を蹴散らしつつ、強行突破を始めた。半分やけくそにも見えるかもしれない。しかし、彼女が通った道は即座に屍の道へと化していく。 兵士達は彼女の動きを捕らえきる前に、絶命して倒れていった。
彼女は橋へ向かう足を更に速めた。目的地に着けば勝ち、なんていうほど、これは単純なことではない。けれど、橋の向こうには街があるらしい。 匿ってもらおうなどとは考えていないが、こちらに有利になるものがあるかもしれない。なによりも、そろそろ疲労は限界だ。
間もなく、彼女は橋へと辿り着いた。
「・・・・・・そういうこと、か」
包囲される前に突破しようとしたのは甘かった。橋の対岸には二百を越えるだろう兵士達が待ち受けており、彼女の到着を今か今かと待っている。
少女は息を切らしながら、橋の中央で足を止めた。背後にはもう、さっきまで自分を追い続けていた兵士達も集まり始めている。
これで、完全に包囲されてしまった。引き返すことも不可能で、逃走経路はない。あるとしたら、増水した川に身投げをすることぐらいだろうか。
自嘲気味な溜息をつきながら、真っ黒な空を見上げる。さてどうしようかと、誰に訊くのでもなく呟いた。こうなることは薄々感付いていたし、分かっていた。 こうなった以上は、後悔したところで既に手遅れだ。
嵐で増水した川はひどく濁り、荒い音を立てる。この時期、嵐で荒れ狂い、増水した川は残酷だった。
「化け物め、手間を取らせてくれる。だが、ここまでのようだな」
「で、どうするつもり?」
敵の長らしき人物の愉快そうな声に、緊張感の欠片もなく彼女はこの絶望的な状況下で欠伸にも似たような、とぼけた声で応えた。
彼女は濡れた髪を邪魔そうに払うと、そこには銀の瞳が煌めいていた。銀の瞳は真っ直ぐ前を見据え、その答えを待つ。
敵の長は剣を構えながら、ただ一言だけ簡潔に答える。
「殺せ!!」
その声は雷によって掻き消されていたけれども、周囲の兵士達は命令を聞く前にそれを理解して、少女へと剣を向けた。 彼女はどこまでも冷ややかな瞳で眺め、吐き捨てるような溜息をつく。そんな一瞬が数分のようにも感じられるほど、空気は張り詰めていた。
世界を揺るがすような雷の轟音の中、少女は歌うような声で言葉を紡ぎ―――光が迸った。
そして、何もなくなった。
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