Legend Story -the heir of the world- 

第壱章 平和な世界イクセリオン -Peace is not happiness-
 Section3 傷跡 



    *   *   *


 日が沈みかけたところで野営の準備に入ることになり、旅路を進める足を止めた。街道は森に囲まれているので、火をおこすための木の枝や葉を集めるのには事欠かない。湧き水が出ている場所も見つけることが出来たので、水にも困ることがないという至れり尽くせりだった。
 今歩いている道は、現在のイクセリオンでは唯一とも言える安全な街道である。舗装などがされているわけではないが、召喚術師学校が頻繁に訓練で使用しているために、魔物はほとんど出てこない。遭遇したとしても、それは知能も低く、容易に逃げ切ることも可能な低レベルの魔物だけである。そのため、セレナ達のような成り立ての見習い召喚師どころか、召喚術師学校へ入学する前の子どもでも安全に歩ける街道として知られている。王国軍が管理している街道よりも安全と言われるほどだ。
 つまるところ、野宿にはイクセリオン一とも言える環境である。

「本当に、腹立つわね。ゼノン達がいなければ、もうちょっとノエルに近づけたのに!」

 そう言いながら不満を述べるフェーネに、遅刻しなければ問題なかったはずだというツッコミは最早入らなかった。面倒臭いし、レイドも諦めたようだった。ゼノンの妨害のせいで予定より旅路は進まなかったのは事実だが、元より野営することは確実だったし、明日にはノエルにつくのだから問題ない。そこまで急がなくても、二ヶ月と少しあれば、王都に到着するだろう。任務の期間は一年だが、半年程度あれば五大都市くらいは回ることが出来る。
 一応は遅刻の負い目もあったのか、夕食はフェーネの希望でフェーネに任せることになった。その間、セレナは野営の準備中に回収した薬実を煎じたり、保存できるように加工し、レイドは剣の手入れをする。日が沈んで、夏の終わりを告げる虫が静かになく頃には夕食も食べることが出来た。
 夕食を食べると、恒例の雑談会が始まる。試験翌日の朝食もそうだったが、三人は食後にお茶を飲みながらしばらく雑談するのが習慣化している。入学当初から何かと顔を合わせて話す機会も多い三人だが、様々な困難のもとに始まったことだった。
 班が結成されたのは今から二年前の五年生で、メンバーを決めるのも相当にもめたが、その後もかなり問題だった。セレナとレイドという個人色の強い二人が同じ班になったせいで、戦闘では連携などあったものではない状態だった。二人ともそれまでそれで問題なかったのと、互いに警戒しているのもあって、戦闘中のコミュニケーションなどは皆無。元の戦闘力が高いので負けることはない上に成績も悪くなかったが、フェーネがおろおろするばかりだったのを覚えている。さぞ居心地が悪かったのだろう。そこで少しでも仲良くなろうとフェーネが提案したのが、雑談会だった。

「明日はいよいよノエルだねー」

「いよいよという程の道のりでもなかっただろ?」

 感慨深げなフェーネにレイドが苦笑しながら返す。
 学校生活はほとんど授業で拘束され、解放されても寮で自習しなければならない状態だった。そのため、一番問題にならないだろう食事時間に雑談するというフェーネの提案はもっともだっただろう。しかし、ここで三人の生活スタイルがあまりにも合っていないことが発覚し、フェーネはこれが上手くいかない原因かと嘆いていた。
 食事一つとっても、まずそれぞれ食事をとる時間帯が違う。フェーネは食堂がラッシュを一度過ぎた後、レイドは極端に早いか遅いかのどちらか、自分はそもそもとらないことの方が多い。加えて食事にかける時間も違う。フェーネはのんびり食事をとるが、レイドは少なめの量を何回かに分けて食べることが多い。レイドは間食を合わせると七食ぐらいあったのではないだろうか。自分は少ない量を短時間で食べる。重ねて言うが食べること自体があまりない。
 せめて夕飯だけでも食事時間を合わせて、自分は食後にお茶を飲んでのんびり付き合うことで、やっと雑談会は成立した。他にもレイドがいつも決まった人間と夕食をとり始めたことが一種の学校問題になったりはしたが。
 雑談会一つとっても何かとエピソードがある。そうやって少し昔のことを思い出している間に、本日の話題は故郷についてのようだった。貴族ばかりが集まっている班ではない上に、特殊な境遇の人間ばかりがいるせいで、いつも話のネタは尽きることがないのは結構なことだ。

「これだけ近いからこそ頻繁に帰ってたのに、一年も帰ってないから、やっと里帰りかと思ってね。やっぱり故郷が恋しくなるじゃない?」

 そういうものだろうか、とセレナは疑問に思ってレイドを見たが、レイドも困ったような顔を浮かべている。レイドも同意見らしい。その様子に疑問を覚えて、フェーネが力説し始めた。

「故郷には親もいるし、子ども時代の幼馴染みとか友達とか、よくしてくれたご近所の人とかいるじゃない? 思い出の味とかさぁ」

「それでも、僕は故郷に帰りたいとは思えないんだよな。嫌な思い出がありすぎて」

「嫌な思い出くらい、私にだっていくらでもあるわよ。でも、安心していつでも帰れるところが、やっぱり故郷じゃない」

 レイドはそういうフェーネの言葉にも、肩をすくめながら顔を曇らせるばかりだった。
 恐らく、原因はレイドがジャスティス一族であることだ。人々を守るという守護の正義を掲げ、人々から絶対的な信頼を受けているジャスティス一族は、政治を担っているアレクサンダー一族よりも庶民には人気がある。しかし、その集団の内部では陰謀や対立が激しく、とても人々から好ましいと思えるような空気は存在しない。

「うん? そういえば、二人とも具体的に故郷って何処なのよ?」

 今までそこに気がつくことがなかったのか、フェーネがそういえばというように尋ねてくる。

「僕の場合はジャスティス道場、本家にいた時間が長いから本家が故郷って言うのが正しいのかな。ほとんどのジャスティスがそうだけど、僕の場合は特にそうだったから。・・・・・・セレナはどうなんだ? ブリューネル地方っていうのは聞いてたけど」

 二人から見つめられて、セレナは少しばかり躊躇した。今まで故郷や両親、家族構成といった個人情報は一部の人間にしかほとんど明かしていない。その明かしていない人間には、もう付き合いの長いフェーネやレイドも含まれる。
 話すつもりがないとか、秘密だとか、そういう風に言えば話さなくても良いと二人は言うだろう。私が特殊な遍歴を持つであろうことは、言うまでもないからだ。レイドがジャスティス一族の力を使っても暴くことが出来ない情報だからこそ、何かありますと言っているようなものである。だからこそ怪しいと思いつつも、二人共今まで強制的には聞いてくることはなかった。恐らくこれからも。
 しかし、そろそろ話すべきかとも思っていた。三人でいられる時間もいつまでか分からない。いつか来るその時のために話しておくことは、むしろ必要なことかもしれない。

「ブリューネル地方はノエル地方よりも更に森が深いけど。その森の奥にある小さな村が一応は故郷ってことになるのかな」

「一応って?」

「旅をしてたんだよ。旅の途中で母が死んで、私は父にその村に捨てられたってこと」

 最後の部分にショックを受けたのか二人は、急に黙り込んだ。ぱちぱちと焚き火の木が爆ぜる音が明確に聞こえるほどに静まりかえる。
 親というものに対してどういう思いを抱いているかは別として、フェーネもレイドも両親共に存命だ。だからこそ何か思うことがあるのかも知れない。セレナにとってみれば、どうということのない話なのだが。

「なかなか旅人も来なければ、当然ジャスティス一族もいないような村だったよ。アレクサンドリア王国の管理下なのかも疑わしいね」

 非常に閉鎖的かつ排他的な村だった。アレクサンドリア王国の国教であるセレネーデ教もろくに信仰などしていなかった。確かに救済祭のお祝いくらいはあったが、個人の家庭でご馳走を食べる日というくらいの認識だっただろう。町外れには聖堂もあったが朽ち果てていて、罰当たりなことだと王都の人間からすれば批判ものだ。
 ただ一年を安全に繰り返し生き続けることを重視していた。ブリューネル地方特有の嵐には見舞われるし、近くの山脈のせいか冬には雪に閉ざされる。日が出ている時間も長くはない。お世辞にも気候は良いとは言えない場所だったのだから、生きることを第一と考えるのは仕方がないだろう。元人間のセレネーデに祈るよりも、自然の精霊達に災厄を起こさないでくれと願う祭りの方が重視されていた。全体的に前時代的だったのだろう。

「私はただでさえ余所者だったしね。養父母だった人も死んでるから、今更帰るっていう場所でもないでしょ」

「でも、もう一度帰って故郷を見たいとかは思わないの?」

「ん、どちらかといえば近づかない方がいいんだろうね。私にとっても、あっちにとっても」

 こうして少しだけ気まずい雰囲気の中、しばらく雑談をして就寝ということになった。


    *   *   *


 月明かりが照らし、静かに虫と鳥の声が聞こえる夜をセレナは一人で過ごしていた。野宿となると必ず誰かが寝ずの番をするか、交代で寝るかのどちらかになる。そして、大抵の場合はセレナが一人で番をすることになっていた。フェーネが番をすると翌日にろくでもないことをしでかすので、それを自覚している本人自らは番を申し出ない。気を遣ってせめて交代制にと言うレイドも眠そうな顔をしているので、結局睡眠欲の薄いセレナが番をすることになる。その方が結果として、効率が良いのだ。 
 焚き火の中に木の枝を数本放り込む。直ぐにぱちっと爆ぜた。今夜は月明かりもあるので、焚き火と合わせると辺りは暗くない。
 静かだな、とセレナは小さく溜息をつきながら思った。

「セレナ」

「ん、何?」

 ふと、小さく掠れたような声を耳が捉えて、セレナはレイドの寝ている方を見遣った。薄手の毛布にくるまっているレイドは反対方向を向いて寝ているので、表情は分からない。
 野営中、夜中に目を覚ましたレイドが言うことのほとんどは番を代わるというものなので、もしそうなら却下するつもりだが、レイドの言葉は予想と外れていた。

「さっきの話、本当なんだよな」

「ん、それが?」

「どうして、今になって話そうと思ったんだ?」

 咎めたり責めたりするものではなく、若干遠慮がちな声音だった。野営の番以外のことで夜中になってわざわざ尋ねるほどに、躊躇いと好奇心があったのだろうか。
 別にそこまで気にすることでもないだろうに、と思いながらセレナは答えた。

「そろそろ、話してもいいと思ったからだよ」

「少しは信頼してもらえたって考えてもいいってことか?」

「ご想像にお任せする」

 なんだというように、レイドはあからさまに落胆したような声を上げた。本当はそう落胆もしていないのだろうに。
 ただ信頼というだけならば、それこそ班を結成する前から成立している。こんなことを言えば、レイドは疑うだろうか。自分の過去や身の上を話すことは、信頼とは話が別であるだけだ。
 何事も全てはタイミングが重要だと、セレナは思っている。
 今はまだ本当のことをそのまま吐露する時期ではない。いつか話さなければならない時が来たら、有無を言わずとも話さなければならないものだ。
 隠し事をしていたり、知られたくないことを持っているのは、何も私だけではない。同じ事はフェーネにもレイドにも当てはまるはず。

「・・・・・・そういうことだったんだな。ジャスティス機関が調べても、君の両親について分からなかったのは」

「流石に察しが良いね。アレクサンドリア王国の市民じゃないからだよ」

 今回故郷について話そうと思った理由は、このことを知られたとしてもセレナについて決定的な何かが分かるわけではなく、何故今まで調べようとしても情報が見つからなかったかの理由が分かるだけに留まるからだ。ジャスティス一族に知られて困るような情報ではない。
 旅人、それを生業とする冒険者のほとんどは、アラフに本拠を構える冒険者のギルドに所属する。ギルドはいわゆる同業者の集まりだ。上下関係を持ちつつも、互いに援助し合う組織で、召喚師連盟もこの延長で出来ている。冒険者は身を危険に置く場合が多いため、情報や援助物資やお金を得たり助け合ったりするために、どこかのギルドに所属していることが多い。旅において、情報と金は必要不可欠だ。ギルドに所属すると王国に税金を納める義務が生ずるが、安全に旅をするためにも、同じ旅の仲間を増やすためにも、人々はギルドに所属する。
 また、何処かの街に拠点を持つ冒険者も多い。小さな仮住まいを設けておけば、いざというときに逃げ込める。疲れをとることも出来る。ただ、この住まいを維持するには税金を納める必要がある。
 二つに共通するのは納税の義務だ。しかし、セレナの両親はギルドに所属することもなければ、住まいを持つこともなかった。故に、イクセリオンで二大勢力になっているジャスティス機関が納税者名簿を調べようと、戸籍を調べようと、セレナの両親に関する情報があるはずがない。

「普通じゃなかったからね」

「普通、か。なあ、セレナ。父親に、捨てられたって言ってたよな」

「ん」

「なんで、だ?」

 少しだけ、レイドの声は震えていた。
 なんでか。そんなことは考えたことがなかったかもしれない。母が死んで、父に捨てられて。そんなことを考える暇もなかったからか。それとも、父に捨てられることは必然だと感じていたからか。
 恐らく、答えは後者だ。

「嫌いだったから、かな」

「嫌い?」

 セレナにとって、父親の記憶は非常に曖昧なものだった。思い出そうとしても、はっきりとした顔は思い出せない。確かこんな雰囲気だったという、ぼんやりとしたものだ。
 青髪は父親ゆずりだとか。剣が達者で、法術も使えたとか。覚えているのはその程度のことだった。思えば顔を正面から見たことも、あまりなかったように思う。父が自分のことを見ていなかったとは思わない。視線はいつも感じていた。しかし、こちらが目を合わせようとすると直ぐにそっぽを向いてしまう。記憶の中の父は横顔か、背中ばかりだった。
 僅かに合った視線から読み取れたものは、嫌悪。そして、困惑。私という存在への疑問。これが覚えている限りの父が私へ向けた全てだったのだ。

「魔力は遺伝によるところが大きい。だから、私の魔力は両親が由来と考えるのが普通。確かに、両親共に魔力は強かったから、子供の魔力が強いことくらい予想がついていたはず。それでも、私は予想外の域だったみたいだね。魔力が強すぎる人間が、どう思われるかは想像がつくでしょ」

「・・・・・・気味が悪い。不吉。呪いの子、か」

「そういうこと」

 レイドの声は苦々しかった。まるで言われ慣れているみたいな言い方だな、とセレナは口に出さずに思う。
 魔力の強さは遺伝による影響が強いと言われている。そして、魔力は生まれつきでいくら訓練しようと、持つ魔力の強さは変化しない。だから魔力の強さ、量、質には個人差がかなり出る。
 魔力の強い人間は生まれた時から、その魔力と付き合っていくことになる。過ぎた魔力は成長や情緒の不安定さ、魔力の暴走など様々な問題を与える。他人とは違う異常性のせいで、後ろ指を指されるというのは良く聞く話だ。
 加えて、魔力が強い人間が魔法を学べば、魔力が弱い人間に比べて強い魔法が使えるようになるのは当然のことだ。魔力が強く、あまりにも突出した威力を持つものは魔物と同じく恐怖の対象となる。
 予想外なまでの魔力を持ってしまった子供に、父は相当驚いたようだった。化け物を見るような目で見られたこともあったような気がする。それを母は何とか宥めていたようだったけれど、母が死んでからは父は私を捨てることに抵抗がなくなったのではないだろうか。元々、嫌いだったのだから。

「フェーネのような話を学校で聞いたりして、普通っていうのが僕は羨ましくて仕方なかった。昔から聖四王族が嫌いだったから。ジャスティス一族だからって学校でちやほやされたりしたけど、ジャスティス一族じゃなければいいって思った事なんて数え切れない。でも、一族でどんなに嫌われたり憎まれたりした僕でも、捨てられることはなかった。だから今になって、恵まれてたんだなって思ったんだ」

「親の有無や故郷の有無が幸福を左右するわけじゃないよ。望んでいなくても、必ず運命はそれを追いかけるって、初めて会った時に言ったよね。逃げることは出来ない。でも、それで全て終わるわけじゃない」

「そうだな。そうかもしれない」

 レイドがジャスティス一族を嫌っていることは前から知っている。しかし、嫌いとかを言える身分ではないのだ。特に聖四王族というものはそういう風に出来ている。イクセリオンの権限を握っているとかで評価は様々にあるが、聖四王族は生まれてから死ぬまでのほとんどの選択を限定されて生きている哀れな人間だ。
 アレクサンダーは王国の統治を、ジャスティスは人々の守護を。華やかな二大勢力でも、実態は使命に追われる運命を背負っている。レイドが嫌に思うのも当然だろう。
 それでも生まれから逃げることが出来ないのは、何もレイドだけではない。この世界で何かに縛られて生きてる人間なんて、そこら中にいる。

「父親に会いたいとは、思わないのか?」

 しばらく黙り込んでいたので、もう寝てしまったのだろうと思っていたところに、声をかけられた。

「生きてるかどうかも分からないのに?」

「死んだなら全て終わりだ。でも、まだ生きている可能性があるなら、死んだと決まったわけじゃない。だから、もし会えるならセレナは会ってみたいと思うか?」

「会わない方が良いと思うよ。互いのためにも」

 セレナは即答した。レイドはその答えに、そうかと一言だけ漏らすと、今度こそ寝てしまったようだった。
 今更会ったところで、何を話すというのか。捨てられた時に、関係は断ち切った。よく覚えてもいない人間なんて、赤の他人も同然だ。

「何故、か」

 仮に話すとしたら、思いつくのはそれだけだ。あくまでレイドに話したのは、曖昧な記憶から判断した自分の想像に過ぎない。だから事実を確認するためには本人に聞くしかない。だが、訊く必要があるかといえば否であるし、訊きたいかと言えばやはり否だった。
 それでも。何年も前に別れた赤の他人なのだと思っていても、名前は忘れていないというのは不思議な気分だった。
 一度だけ、生きているかどうかも分からない懐かしい名前を空に放ち、夜は更けていった。


    *   *   *


 日が長い季節なので日の出は早い。ここは地理的にイクセリオンの西端なので、イクセリオンの中では日の出は遅いのだが、冬と比べればかなり早い。
 日が長いということは気温も上がるということで、暑くなる前に出発したい。セレナは暑いのが苦手というわけではないが、フェーネは暑さに弱いのですぐにばててしまう。一方、レイドはというと暑い方が調子が良く、寒い方が苦手なので、どうにも釣り合いの取れない面子だ。育った環境の違いのせいだろう。仮に三人で活動拠点を決めるとしたら、もめるに違いない。
 日が出てからしばらくの時間が経っていた。日の出前に起きたレイドは習慣の訓練に出ている。いつもなら時間にして一時間から二時間の訓練が朝食前に行われるが、今日はそれなりで切り上げると言って出て行ったので、そろそろ戻ってくるだろう。
 セレナは熟睡するフェーネを横目に、朝食の準備に勤しむ。レイドが目を覚ます前に近場で採ってきたものと、学校から持ってきた保存が効くパンで、簡単にサンドウィッチを作っていた。農場で採れる野菜ほど、そこらで採れる菜は甘くはないが、野宿の食事にしてはそこそこ豪華な朝食だろう。もっとも、野宿を極力避けるために馬で移動するゼノン班にしてみれば、このような食事はちっとも贅沢ではないのだろうが。
 噂をすれば、レイドは肩にかけたタオルで汗を拭いながら戻ってきた。

「朝食の用意、お疲れ様。フェーネは・・・・・・まだ寝てるのか」

「ん。昼過ぎにはノエルに着きたいし、そろそろ起こそうか」

 呆れ顔のレイドは、毎度遅刻する理由を察したようだった。直ぐそばで朝食の準備をしているのに起きないとは、平和呆けもいいところだろう。召喚師という戦いに身を置く身分のはずなのに、驚きの体質である。フェーネのこれからが不安だ。
 起こすべく一度立ち上がったセレナはフェーネのそばにしゃがみ込むと、フェーネの耳元で指を鳴らす準備をしながらカウントダウンを始めた。

「着火三秒前。三、二、」

「へ、何、嘘、え?何、え??」

「着火」

「ちょっと待ってーーーー!!!」

 フェーネはぱちんという音が鳴る寸前に、なんとか身を捩って回避した。数秒前いた場所には、指先に炎を灯したセレナが座っている。まるで童話の少女のようでもあったが、そんなに悲愴ではないし、むしろ物騒だった。
 起きた早々、状況を理解したフェーネはさっと青ざめる。そんな光景を呆然と、レイドは眺めることしか出来なかった。

「おはよ、フェーネ」

 いつも通り、教室で挨拶するのと同じように、セレナはフェーネに呼びかける。それが今の状況ミスマッチであることは、誰も指摘しない。

「お、おはようございますぅ」

「朝食食べたら出発するから、先に顔洗ってきなよ」

「はいぃ」

 そそくさと水場へと向かうフェーネの後ろ姿を眺めながら、セレナは出来上がったサンドウィッチを並べる。
 フェーネの寝起きは悪い。しかし、こういう少し強引な起こし方であれば、すこぶる寝起きはいいのである。近くにいれば二度寝する危険性もない。
 普段からこれくらい寝起きがよければ、遅刻することもないのだろうに。

「なぁ、セレナ。今のは冗談、だよな?」

「ん? 私は嘘や冗談のつもりはなかったけど」

 首を傾げながらレイドを見遣れば、ぽりぽりと頬を掻きながら気まずそうにしている。何かいいたいことがあるという感じだが、口をもごもごとさせて言葉にならないようだ。
 何か、まずいことでもあっただろうか。

「いや、なんでもない」

 はっきりしない物言いだったが、なんでもないと言うので、セレナは気にせずにお茶を淹れ始めた。旅先に持ち歩ける茶葉にポットもないので、あまり美味しいとは言い難いだろうが。
 そうして、辺りに紅茶の香りが立ち上る中、レイドは寝坊厳禁だなと漠然と思った。

「あの程度じゃ、火傷もしないよ」

 魔法の火とはいえ、マッチ程度の大きさくらいしかない火だ。先日ドラゴンを間近に見たのだから、この程度は何も問題ないだろう。ドラゴンの火であれば黒こげではすまない。ドラゴンの火は相当に魔力の強い火だ。人間ならば跡形もなくなる。

「火の魔法使いは、火に対する感覚が違うんだ。ちょっとくらいじゃ無害の水や風とは大違いなんだから、怖くもなるさ」

「風は目で見えない分、タチが悪いと思うけどね。物理的な火ならともかく、私の魔法なんだから余計なものを燃やしたりするほど、私は下手じゃないつもりだけど」

「それもそうか」

 魔法を扱う以上、扱う属性に抵抗があるようでは魔法は思い通りに使うことは出来ない。恐怖などもってのほかだ。だから、セレナが自分の一部のように火を扱うのは、当然である。
 周りからは危ないだの何だの言われるが、火の魔法使いには火の魔法使いとしての火の認識があるのだから、危険意識がずれてしまうのは仕方がないのだ。火は危険なものではなく、自分の力そのものになる。危険だとは感じない。それはセレナだけでなく、同じ属性を扱うゼノンもそうだ。
 かく言うレイドも、風や雷は何の抵抗もない。フェーネも水に抵抗はないはずだ。レイドの召喚術の属性である雷などは何の躊躇いもなく操られると、周りからは危険極まりないと苦情を受けるはずだが、レイドが気にしているところは見たことがない。つまりは、お互い様だ。
 汗を拭い終えたレイドが伸びを一つしていたところで、突如、水場の方から悲鳴が届いた。

「・・・・・・フェーネか?何かあったのかな」

「魔物の気配はしないけど」

 二人で顔を見合わせながら、取り敢えず水場の方へと向かうことにする。
 水場はそれほど離れていない場所にあるので、走れば一分もかからない。慌てて走って辿り着いた湧き水がたまった水場には、息を荒くし肩を上下させるフェーネの姿があった。フェーネ以外に姿はなく、やはり魔物の気配も感じない。フェーネが魔物を倒した痕跡も感じられなかった。

「どうかしたのか、フェーネ?」

「もう、なんなのよ〜〜!!」

 二人の姿を見るなりフェーネは叫びながら崩れ落ちた。
 曰く、顔を洗っていたところ、荷物を野鳥に捕られ、奪還するために奮闘していたらしい。魔物独特の気配がしないのも無理ない。
 この街道の魔物くらいなら一人でも何とか出来ると安心しきっていたのが間違いなのか、まさか野鳥が自分を狙うとは思わなかったのだろう。正確にいえば、目的はフェーネではなくフェーネの荷物だったようだが。
 フェーネが数秒前の武勇伝を語る中、セレナは溜息をついており、レイドは頭を抱えていた。

「何よ、その拍子抜けーみたいな態度は!? 大変だったのよ。買ったばかりの鞄もぼろぼろにされるし、中のおやつは食い荒らされてなくなっちゃうし!」

「戻ろうか、セレナ。少しでも焦った僕が馬鹿だった」

 一人喚くフェーネを尻目に、セレナも振り返って、もう一度溜息をついた。
 野鳥相手に必死になる召喚師がどこにいるというのだろうか。しかもその武勇伝を声高らかに語るなど、もってのほかだ。

「野鳥、ね」

 野営地に戻りながら、セレナは呟いた。
 魔物でないことは何よりだが、魔物でないことが逆に問題である可能性を失念していた。フェーネの訴えから狙われたのは食べ物だったようなので、あまり心配する必要はないだろうが、それでもタイミングの良すぎる襲撃は少し気にかかる。杞憂であればいいのだが。
 遠くから、不気味な鳥の声が聞こえた気がした。



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