Legend Story -the heir of the world-
* * *
予定よりも随分遅れて到着したので、宿の女将はセレナ達を大層心配していたようだった。時間も遅かったので、そのまま部屋に案内してもらい、そこでレイドと別れた。
部屋に着き、ドアを閉めた途端、セレナはなんだか急に力が抜けるような感覚がした。閉じた扉にもたれかかりながら、思わずふっと息を漏らす。昨晩の野宿では寝ていないとはいえ、何となく疲労感のようなものを感じるのは肉体的というよりは精神的なものが大きい。
思えば、一日で色んなことがありすぎたのだ。フェーネが鳥に襲われることから始まり、ノエルに到着してからはアクラ、反乱戦役、ガーゴイルときている。面倒なことはどうしてこうも立て続けに起こるのかと、また溜息が出そうになった。
「ま。面倒ごとを引き寄せているのは、私か。文句を言えた身分じゃないね」
もう半ば諦めていることを口にして、ふと部屋の中を見渡すと部屋の真ん中近くに置かれたテーブルには、白いポットとマグカップが用意されていた。よく眠れるようにという女将の配慮であろう、ポットの中身を確認するとハーブの匂いがほのかに部屋に広がる。マグカップに注いで、そばの椅子に座ってからゆっくりとハーブティーを一口飲むと、ようやく一息つけた安堵感が身体を満たしていく。
そして、ぼんやりと先程レイドが口にした疑問を反芻した。
ガーゴイルは魔物だったのか。答えは是だ。さらに、ガーゴイル襲撃と魔物化の謎を合わせて考えれば、犯人はガーゴイルを魔物化することが出来る人物と考えることも可能になる。元生物が突然魔物化するとしか一般には知られていないのに、無生物を人為的に魔物化出来るとしたら、それは魔物化のメカニズムを完全に把握している人間にしか出来ないはず。しかも、それは聖四王族であり、長年魔物と戦い続けているジャスティス一族のレイドですら知らないことを知っているという、かなり限られた人間になるはずだ。
セレナでも、犯人もその目的も確証はない。しかし、レイドには言わなかったが、その限られた人間の狙いであれば消去法で推測が出来る。
魔物化という現象を操れるような高度な知識を持つ人間が、いくら第五都市ノエルの市長の一人娘とはいえ田舎中流貴族のフェーネや平民のアクラを狙うのは考えにくい。あの二人を狙ったところで何のメリットもないからだ。かつて盗まれたというエルフの宝を狙った可能性はないとは言えないが、腑に落ちない。たとえガーゴイルに宝を奪還させたとして、その後にはガーゴイルを破壊しなければならないのだから手間がかかりすぎるのだ。それなら直接奪った方が早い。
「目的は、私かレイドかな。私を試すために遊び半分で仕向けた、が一番ありそうなんだけどね」
さらにハーブティーを一口飲んだところで、ふと視線を感じて窓の外を見ると闇の中に一羽の黒い鳥がこちらをじっと見つめていた。闇夜に融けるような漆黒の鳥は、少々大型ではあるが、鴉のような姿をしている。
セレナには見覚えのある姿だった。何かもの言いたげな様子で見つめながら微動だにしないので、こちらから気付いて部屋の中に入れるのを待っているのだろう。
最後の最後にまた面倒臭いものが来訪したことに、いい加減にして欲しいと心の中だけで愚痴る。そうして要求通りに窓を開けると、鴉は迷いなく室内へと侵入してきた。鴉は一周ぐるりと部屋を旋回すると、さっきまで座っていた椅子の背に留まる。
開けた窓を閉めて振り返ると、そのまま壁にもたれかかった。
鴉とセレナの視線がぶつかったまま、しばらく時が流れる。何か言いたげにこちらを見つめていた癖に、部屋に入るだけ入って沈黙する鳥に、セレナは思わず溜息をついた。もはや今日何回目の溜息か知れない。
「元気そうで何よりだね、クロ」
「気の長い我でも待ちくたびれて帰ろうかと思ったぞ。そして前々から何度も繰り返すようだが、クロではなくクロムだ!」
こちらから謝罪でもすれば良かったのだろうか。黙っていたのは怒っていることを主張したかったが故の行動だったらしい。だからといって、このような態度で出られても謝る気にはなれないが。
「そう言われてもね。遅くなったのはレイドに文句を言ってよ。それと、私がクロって呼んでるのはクロの主がクロって呼べって言ったから、クロって呼んでるだけだけど」
「むぅ。忌々しきジャスティスの小僧め!
そして何度もクロと連呼するでない!
そもそも、クロなどという名はだな」
鴉の姿でありながら低めの声で人語を話すこの鳥はクロムという名の、元はれっきとした由緒正しき、ただの鴉である。元はと表現する理由は、今では精霊となっているからだ。昔はただの鴉だったが、鴉の中でも特別に魔力を持ち精霊化した稀少といえば稀少な存在である。精霊となった彼は百年以上の年齢を重ねているが、年齢的にも稀少な精霊としても、威厳は全く感じられない。
彼と召喚術の契約をしている主は、クロムという名を聞いてその容姿を見て、よしクロだなの一言であだ名をつけた。セレナもそう呼ぶようにと言われたので、呼ばれる本人の意志とは関係なくクロと呼んでいる。クロム自身は呼ばれる度に文句を並べているが、主が改める気がないようなのでセレナもそのままにしていた。
ぶつぶつとクロという猫のようなあだ名がいかに威厳がないかと文句を言うが、既にその姿が威厳を失している。むしろ寛大に受け容れる心を持っていた方が、威厳が増すだろうことに気がつくのはいつになるのだろうか。
だから、彼の契約主はいつも彼を面白がっていじっているのだろうという気がする。
「で、クロ。何か用があったんじゃないの?」
「むぅ、だからクロと呼ぶでない。しかし、そうであった。ブリューネルに戻るのならば、何とかして一度顔を見せろとのことだ。あと、月の森が近頃怪しいようでな。魔物も増えておるので気をつけるようにとも言っていた」
「それだけ?」
「うむ。それだけだ」
いくら精霊が鳥だからとはいえ、この程度のことを伝えるために精霊を伝書鳩扱いする主も主だが、引き受ける精霊も精霊だ。
セレナは呆れながらも、仕事はこなしたという誇らしげな鴉の喉元を、取り敢えず撫でて感謝を述べておくことにした。
「わざわざどうも」
「うむ。では、貴殿の方からあちらに伝えることはあるか?」
この精霊はやたら威厳にこだわって呼び名には執着をするのに、伝書鳩と同列のことをさせられていることに何も疑問を抱かないのが、セレナが長らく持つ疑問である。クロムがブリューネルとの連絡を担ってくれるのは伝書鳩より余程信用がおけるし、伝書鳩では運べないようなものも運べるので優秀には違いないが。
嬉々として伝書鳩の仕事をするクロムを見ると、セレナはほんの少し哀れに思うことがある。偶にだが。
「魔物化したガーゴイルは見てたよね」
「うむ。我が標的にされずに済んで良かったぞ。厄介な相手だったようだな」
「ん、それを伝えておいて。あと、戸締まりに十分気をつけるようにと」
「心得た。さて、我は早々に帰るとしよう」
クロムは自信ありげな様子で頷き、椅子の上で方向転換をした。そうして、窓を開けてくれるのをじっと待っている。
「お疲れ様」
溜息混じりに、クロムに対してなのか自分に対してなのか分からない言葉を呟くと、窓を開けて進路を確保してやる。すぐさま飛び立ったクロムはあっという間に闇夜へと消えていった。クロムを見送ってから窓を閉めると、だるさが増したような気がする。
「月の森に気をつけろ、ね。早めに休んでおくべきかな」
クロムの持ってきた伝言に、また面倒ごとが起こりそうな予感がした。
椅子に座って、冷たくなり始めたハーブティーを飲みながら、荷物から日記帳を取り出す。とうに日にちをまたぎ終え、新しい日の時を刻む時計を一目見てから、日課の数行を連ねた。
* * *
灯す明かりはなく、窓から入る月光だけが照らす暗闇の中で金の髪と水色の瞳が光っている。表情はなく、顔を向けずに視線だけで、静かに廊下を歩いてやってきた女性を冷たく射貫いた。
レイドは壁にもたれかかっていた身体を起こすと、予定の時刻通りに現れた相手を正面に捉えた。彼女はレイドとは違って鮮やかな金色の髪ではなく、色の薄い茶色の髪の色で、瞳も水色より灰色に近い。緊張した面持ちの彼女とは裏腹に、緊張感がそこまでないレイドはその容姿を見て自分の姿を忌々しく思っていた。
同じジャスティス一族の人間なのに、ここまで違いが出るのだから不思議なものだといつも思う。そんなことを考えても仕方がないとは分かっていても。
「ノエルの状況は」
「至って、安定していると思われます。八年前のガーゴイル襲撃事件直後は慌ただしくなりましたが、それ以降特に目立った事件も起きておりません。フロリス家のノエル統治もうまくいっておりますので、王都から離れたこの地でも、急激とは言い難いですがゆるやかに発展を続けております。現在のノエルには過激なギルド活動もありませんし、治安も安定しております。ノエルにおいて特に心配される問題はないかと思われます。問題があるとしたら、夕刻に現れたガーゴイル二体のみです」
「被害は?」
「見張り台の倒壊と教会墓地に若干。それ以外に被害はなく、修復にそれほど時間はかからないと思われます」
「そうか」
ガーゴイルの襲撃の被害は、初めに遭遇した時の見張り台とフェーネ達がいた墓地のみだということに、少し安堵した。他に被害があったようには見えなかったが、八年前の事件からやっと復旧し栄え始めたこの街が再び破壊されるような悲劇は人々の心を砕きかねない。相手が二体で本当に良かったと思う。あとは、その場に自分とセレナがいたことが不幸中の幸いだった。そういう意味では、他より遅れて出発して良かったのかも知れない。
もっとも、これがセレナの言う通りに人為的なものであれば、逆に笑えない話なのだが。
人為的に狙うというならば、狙いはセレナか自分かの可能性が高い。中流貴族のフェーネや平民のアクラを狙ってもメリットは少ないからだ。だとしたら、周囲に敵が多いセレナか自分のどちらかを狙ったという方が自然な考え方だろう。
ふと思い出したように目の前の女性を見ると、考え込むレイドの表情を不安げに窺う彼女は耳の痛くなる静寂の中でそわそわと落ち着かない様子だった。この緊迫した空気から一刻も早く逃れたいと思っているのだろう。早く報告を終わらせて帰りたいらしい。
レイドは思わず笑いそうになるのをこらえ、彼女のためにも聞くべきことを尋ねることにする。
「ブリューネルの状況がどうなっているか分かるか」
「何も。ご存じの通り、ブリューネルはデルフィニウム家により七年前にジャスティス機関が追放され、自治組織が警備しております。それ以後、ジャスティス機関だけでなく召喚師連盟及び王国軍ですらブリューネルには容易に入り込むことが出来ません。治安に関しては問題ないようですが、情報が入りません」
「反乱勢力の動きは」
「それに関しても。ご命令通り、調査はしているのですがなかなか情報を掴むことが出来ない状態です。そもそもブリューネルに反乱勢力があるというのも証拠はありません。もしあったとしても、今のところ大きな動きはないと思われます。個人的な意見としては怪しいと思ってはおりますが」
なかなか情報は掴ませてもらえないか。あまり期待はしてはいなかったが、落胆する気持ちがないわけではない。
七年前、ブリューネルを治めるデルフィニウム家はジャスティス機関や召喚師連盟の支部を追い出した。それ以後、ブリューネルに関する情報はジャスティス機関にほとんど入ってこない。アレクサンドリア王国に対する反乱勢力の動きがあるという噂はあるが、実際にそのような活動をしている証拠は掴めなかった。しかし、もし本当に反乱勢力があるのなら。
レイドの脳裏に青髪の少女の姿がよぎった。
「反乱戦役のこと、悔やんでいらっしゃるのですね」
表情が曇ったレイドを心配するように、女性は自ら声をかけた。彼女がやっぱり、という顔で目を伏せる。だからといって、一族の全てを背負い込もうとするレイドに、彼女はかける言葉を思いつくことが出来なかった。
「行くのですね、ブリューネルに」
「歓迎されるかは分からないが。心配はいらない。ノエル支部で街周辺の警備を一時的に強化しろ。あと、八年前に侵入されたエルフの遺跡に、最近何者かが侵入した可能性がある。調査後はアラフ支部長に僕の名前を添えて提出してくれ」
「承知致しました」
「ご苦労だった。下がってくれ」
丁寧に一礼をして身を翻した彼女は、進めた足を途中で止めた。
「くれぐれも身の回りにはお気をつけ下さいませ、レイド様。私はあなたを軽蔑することなどは致しませんが、その・・・・・・」
背を向けたまま俯く彼女がどのような顔でそんなことを言っているのか、レイドには分からなかった。しかし、レイドにとってそれは良かったのかもしれない。どうしてもこの話題を出されると、一瞬でも顔を歪めずにはいられないからだ。
落ち着け、とレイドは自分に言い聞かせる。
「軽蔑されるようなことを、僕がやっただけのことだ。あなたが案じる必要はない」
女性はその言葉を聞いて、どことなく落ち込んだような気がした。そのまま振り返ることなく行ってしまったので、これも確証はないがそんな気がする。
彼女が完全に暗闇へと消えて行ったのを見送ってから、レイドは傍の窓を開けた。張り詰めていた空気を吹き飛ばすように、夜の冷えた風が廊下通り抜ける。
セレナの癖が移ったのか、レイドは一際重い溜息をついた。
「知れば、戻れなくなる。か」
ガーゴイルが魔物だったかという問いに、セレナはそう答えた。意味を問いかけたレイドに、そのままの意味だとも言った。それが何を指すのか、レイドには分からない。
ガーゴイルが魔物化するということに、セレナが言いたくないようなことが隠されているのか。散々魔物と戦っている割に、魔物が何なのかさえ分からない。実際に斬っているものが何かさえ分からなくて、セレナに学校で出された宿題の答えを見つけることが出来るわけないか。
自嘲気味にレイドは笑った。
「分からないことを考えていても仕方がないな。ただでさえ、問題は山積みだ。今やれることをやるしかないか」
レイドは壁にもたれかかると、天井を仰ぎながら目を閉じた。ゆるやかな風が前髪を揺らす。
「ああ、分かってる。罪は背負い続けるさ。だから」
一際大きな風に、窓の外の樹木が揺れた。心地の良い葉擦れの音以外に、何も音が聞こえない。静かだった。
「今度こそ、守ってみせる」
決意を込めた呟きが夜の闇に呑み込まれていく。再び穏やかに戻った秋風が、まるでレイドを励ますように流れていた。
* * *
赤い夢の続きは、黒い夢だと決まっている。分かっていても抗うことが出来ないのは、あらかじめ用意された台本を何度もなぞる感覚に似ていた。
暗闇を歩いている。壁に備え付けられている照明にそれほど力はなく、申し訳程度にしか闇へと抵抗出来ない。何処へ、何処まで続くか知る由もない一本道は、今の自分が置かれている状況をそのまま表しているようにも見える。何の光明も、希望もない。
空気そのものが重く、暗い。ねっとりとした暗闇が、へばりついてくるようだった。石造りの建物の地下は、季節に関係なく冷たく、闇の力も強いように感じる。初めて訪れた場所だが、なるほど禁断の地と言われるだけはあると漫然と思った。決して、自分の精神状態が反映されてそう感じるわけではないと思う。
屋内にいるはずなのに、心地よいとは言い難い気持ち悪い風が吹いている。一言も口を開く者はいないのに、風に乗って耳を打つのはひたすらに憎悪の念だった。
進め続けた足は、一際大きな扉の前で止まった。
「何を考えている」
後ろからの声を無視して扉を押すと、耳障りなほどにきしんだ扉が開かれる。そして、怪しげな祭壇が最奥に置かれた奇妙な礼拝堂が眼前に広がった。何故、こんな場所にこんなものがあるのかについての知識は自分にはない。興味も湧かなかった。
「こうなることを知ってたんでしょ」
「無論」
抑揚もなく即座に答える彼女を、思わず睨みつける。自分自身、彼女はそんなことで怯んだりは絶対にしないと知っている。むしろ溜息をつきながら非難するのが常だった。それでも、彼女の返答に睨まずにはいられない。
紅の瞳と視線がぶつかる。いつも通りに何を考えているのかは全く読めなかった。
そして、予想通りに彼女は溜息をつきながら吐き捨てる。
「己の無力さと甘えを、私になすりつけるな。全てお前がもたらした結果。さらに言えば目的を果たすための過程の一つに過ぎん」
結果。過程の一つに過ぎない。
彼女の言葉を口の中で反復させ、その通りだと納得せざるを得なかった。だが、それで処置を済ませたはずの傷口が、胸の奥が痛むのは何故なのか。
全ては私の力不足。甘え。許されぬ願望を抱いたことへの裁きか。
「ん、もういいよ」
自分にも、彼女にも。それ以外の全てのヒトにも、世界を取り巻く宿命にも。全てのことに諦めがついてしまった。
一握りの希望にすら、すがることも許されぬ世界。互いに潰し合って、犠牲にすることでしか生きることの出来ない世界ならば。
―――いっそ、何もかも消えてしまえ。きっと、それが**になる。